D.O通信「音の味」

音楽で人生を演出し地域に根付いた、元デスメタルなヤツがお届けする❝音のアレコレ❞

シンガーソングライター より子


猛暑真っ最中、おうち時間でブログを書く休日を楽しんでいますが、

部屋の温度は35.4℃。。

…自分の部屋にエアコンがない、D.O(@Deeooo954)です。



みなさん、この方のお名前を聞いたことが
あるのではないでしょうか?


今回は、人生がドラマにもなった、
シンガーソングライターのより子さんを

ご紹介したいと思います。


何故かって?
それは記事を見たら分かりますよ。。



シンガーソングライター より子 とは


2001年、AMラジオ局のニッポン放送
LF+Rという企画をやっていて、

その中からシンガーソングライターが誕生しました。


その名は「より子。


より子さんは中学生の頃、
同級生に元モーニング娘。福田明日香さんが居て、

音楽の才能が凄い子がいるとマネージャーに紹介されたそうなんですが、

その流れでスカウトされることになり、芸能界に入ります。


より子さんは、2歳の時に小児がんを患い、
5歳までの3年間を病棟で過ごしています。


その入院中に、おじいちゃんからおもちゃのピアノをプレゼントしてもらったんですが、

まだまだ幼いより子さんはそのピアノに夢中になり、

なんと、聞こえて来る音楽を耳コピしては弾いてみせるという、

信じられないほどに優れた才能を持っていたのです。

 

皆さんは、より子さんの「ほんとはね。」という曲を
一度は聴いたことがあるのではないでしょうか


この曲は、より子さんが人生で初めて
歌に歌詞を付けて、自ら演奏し唄った
オリジナル曲なんですが、

後にソニンさんがカヴァーしたり、
子供の頃の闘病を自叙伝にしたドラマでは、
松浦亜弥さんがより子さんを演じドラマに挿入されたりと、

当時とても話題になりました。



より子/ほんとはね。



より子さんとの出会い


僕がその名前を初めて耳にしたのは2003年のこと。


その頃、僕は福岡県で暮らしていたのですが、
中学生の頃からオールナイトニッポンが好きで聴いていて、

福岡県でも相変わらず
ザーザーな受信状態の中で聴いていました。


そんなニッポン放送を日常聴いていたら、
CM中や番組内インフォメーションで、


シンガーソングライターの「より子。
と、中々の割合で聞こえて来ていました。


よく聴くと、オールナイトニッポンのパーソナリティをやっている方のようでして

ニッポン放送の企画でデビューした期待の大型新人
とまで紹介されていたのです。


最初は、誰だろう?ってくらいのちょっとした関心だったのですが、

その、「より子のオールナイトニッポンR」を聴いてみようと思った僕は、

番組を予約録音してみました。


翌日、その録音した放送を聴いてみると、

なんとまあそれはそれは明るくて真っ直ぐに力強いトークで、

より子さんが喋っているではありませんか!!


そしてその溢れんばかりの個性が、
ラジオから伝わってくるのです。


それが凄く楽しくて、自分と同じような個性だって、

物をハッキリと言ったり、ポリシーを持って番組を進めたり、

僕には大ヒットだったんです。


そのより子さんのオールナイトニッポンの最終回は、

ラジオの生放送中なのに、最後を惜しんで豪快に大泣きしていて、

それがまた多くのリスナーのハートに刺さっていると思えるくらいに、

より子という人の大きさを噛み締めたものでした。


それから2年が経ったある日、音楽雑誌で、
「より子、メジャーデビューALBUM、Cocoon 発売!」
という記事があり、

あの時のより子さんだ!とピンと来たので、
CDショップに行ってみました。


すると、ニューリリースのコーナーの1枚に、
より子さんのCocoonがありました。


それを買ってみては家に帰り、
オーディオにCDを入れて再生すると、

とても綺麗なピアノやシンセのサウンドに包まれながら、
心にスッとメロディーが入り込んでくるのです。
(まるでヒーリングミュージックのような)


その中に、とても印象的な曲があり、
力強いメッセージで描かれた
「それでいいのですか?」という曲があり、

それが僕に深く突き刺さったのです。


こんな曲まで唄うのか!ってほどの衝撃でした。


それからの僕は、より子さんのインディーズの頃のCDまで集めては聴いて、

より子さんがどんどんフェイバリットアーティストとなっていったのです。



より子さんと対面する時が来ることに


それから時は経ち、このブログに書いているように、

僕も色々なことがあった時代を過ごして来たため、

音楽性も変わって行き、より子さんから少し離れていた頃があったのですが、

その頃、生命保険の代理店を営んでいて、アフラックを取り扱ってまして、

2014年に、アフラック主催のチャリティーコンサートが全国各地で開催されることになり、

鳥取市でも開催されることになったのですが、

そのコンサートは3組の豪華アーティストが出演し、

2000人を収容することができる大ホールにて行われ、

その出演者の中に、より子さんが居たのです。


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Aflac チャリティーコンサート2014 鳥取公演チラシ


その開催のチラシを持ってきた当時の営業担当が、

当日のボランティアスタッフをやってくれる代理店を探していると言いながら、

僕に声をかけてきました。


僕は4〜5年前まで、より子さんを追いかけていたこと伝えると、

なおさら参加してほしいとお願いされ、

喜んで参加することになりました。


いよいよ当日がやってきて本番が始まると、
会場は沢山のお客様であふれ満席となりました。


早見優さん、タイムファイブさん、
そして、より子さんと順番にステージに出演し、

より子さんをずっと追いかけて来た僕が、
そこで初めて生のより子さんのステージを観ることになったのです。


一台のグランドピアノがステージの真ん中に置かれ、
そのピアノに一人座りながら、

とても華麗で素敵なピアノ演奏をしながら、
力強くて優しい歌声で、

会場を感動で包み込んでいました。


初めての生でのより子さんは、
思ってた以上に凄すぎて、
ビックリでした。


無事コンサートが終わり、お客様のお見送りの時には、

出演者の皆さんが一人一人に握手をし、最後まで笑顔で接してられました。


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Aflac D.O 終演後お見送り時にて 募金へのお願いとダックの進呈中


そのお見送りも終わり、僕等ボランティアスタッフも解散となった時、

より子さんが近くにいたので、ちょっと声をかけてみました。


D.O「より子さん、SUNS OWLのドラムのGOさんと仲良しなんですか?」

より子「あ、はい。そうですよ!ご存知なんですか?」

D.O「はい!僕パッと見がこんなんですが、前にデスメタルバンドをやってて、
SUNS OWL聴いてて、より子さんをWikipediaで見てたら、
GOさんと仲良しだって書いてあったから。」

より子「GOくんね、Break the Cocoonのレコーディングでドラム叩いてくれたんです。」

D.O「えー!あんな怖くて近寄れそうにない人と、より子さんは一緒に演ったんですか!?」

より子「…けどGOくんはとても涙もろくて優しい人なんですよ(笑)」

D.O「え!そうなんですか!?路地裏でチーマーとケンカして血まみれになったままバンドのリハに入るって聞いたし、
清春さんに呼ばれて黒夢SADSでプレイするくらいの人だから、
それが信じられないです。。」

より子「音楽されてるんですか?」

D.O「やってます。今じゃEXILEみたいな感じの音楽をやってますけど(笑)
けど僕、より子さんのCDは全て持っているんです。」

より子「へー!鳥取に来て一番嬉しい話ですねー!」

D.O「僕の方こそ、こんな機会が来るなんて夢のようですよ!
よし、じゃあ次は僕がより子さんを鳥取に呼びますねー!!」

より子「是非また来たいです!楽しみにしてますね!!」


と会話をさせてもらって、
最後に一緒に写真を撮ってもらって握手もしてもらって、

僕は会場を後にしたのでした。

 

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より子さんとD.O アフラックチャリティーコンサート2014 鳥取会場にて



そして、より子さんが再び鳥取で、歌声を届ける日が来ることに

 

D.Oの音楽人生の中で大きな影響を与えたより子さん。

 

そのより子さんと対面したことで、
ファンとしての憧れが発展し、
お互い仲良しにまでなるなんて、

当時誰が思ったことか。


デスメタルバンド時代によく、
より子さんの曲を聴いていたわけなんですが、

その頃は特に周りの音楽仲間に、
より子さんの曲をセレクトした
マイベスト盤のMDを作っては、

配ってました。


とにかく聴いてみろ!と。


なので、僕が主催したこのまちづくりイベントの時には、

あの頃D.OからMDをもらって聴いていた、

あのより子さんが鳥取に来るってことで、

当時の仲間達も遊びに来てくれたんです


そのイベントは、鳥取・山陰の才能あふれる「逸材」を紹介し、

地元地域から全国へ発信しようと企画された内容でして、

「山陰の〇〇が、お好きでしょ。」

というタイトルで、2018年に開催されました。


そのイベントに、ゲストでより子さんをお招きしたのです。


アフラックチャリティーコンサートで初めてお会いしてから4年、

時を経て、約束が果たされ、より子再来鳥が実現したのです。


このイベントは、凄い才能を持っていながら
山陰という田舎で暮らすヒトや、

全国には伝わっていない山陰の凄いモノや、
まだまだみんなが知らない山陰の凄いトコを、

地元で活躍するアーティストの僕等が発信していこうと、

ステージでパフォーマンスを披露したり、

出演してくれるアーティストやキーマンとゲストトークしたり、

出演者みんなと番組パーソナリティが、
山陰の凄いをテーマにパネルディスカッションをしたり、

鳥取のホットなスポットにロケ班が行って、
そこからイベント会場にTV中継を繋いだり、

ローカルワイドプログラムとして開催したわけなんですが、

その実は凄い山陰・鳥取を、
芸能界のタレントさん、アーティストさんをお招きして、

山陰・鳥取が都心からどう見えるのかや、
業界から見て鳥取の才能はどこまで通用するのかなど、

意見を聞いたり、本当の世界で活躍するプロのパフォーマンスを
目の前でご披露頂いたりするコーナーがありまして、

そのゲストがより子さんだったんです。


当日は沢山のお客様にご来場頂き、盛大に開催ができました。


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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 テーマソング生演奏

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 地元伝統芸能演舞披露

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 地元ホットスポット生中継

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 グルメグッズブースリポート

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 地元観光活動団体パネルプレゼントーク

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ローカルアーティストライブ

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ローカルアーティストライブ

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 会場の風景

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ローカルアーティストライブ

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 オールキャスト参加型山陰発信テーマトーク

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 オールキャスト参加型山陰発信テーマトーク

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 オールキャスト参加型山陰発信テーマトーク


…と大きく言えるまででは無かったのですが、
それでも楽しみに来て頂いたお客様も多く、

あのより子さんを観たい聴きたいとご来場されたお客様も沢山いらっしゃいました。


中には、県外からより子さんを応援しに来てくださった方までおられましたよ。


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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲスト:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストトーク:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストトーク:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストトーク:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストライブ:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストライブ:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストライブ:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 ゲストライブ:より子

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 エンディング

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 エンディング

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山陰の○○が、お好きでしょ。2018 エンディング

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ともあれ、より子さんを再びお招きしたことで、
大きな進展に繋がるきっかけとなったんです。


思い出せば、より子さんへ出演のオファーをしたのは、
開催当日の1年半前のことでした。


事務所へ依頼の連絡をすると、
より子さんのマネージャーさんが、
とても親切で丁寧なご対応で当日までを取り次いで頂いて、

移動の手段や宿泊先の手配、お食事の提供や楽屋の手配、

そして公演翌日の鳥取砂丘旅行までを当イベント実行委員会で計画したのですが、

全て快く引き受けて頂けて、
芸能界で活躍されている方の心の広さを感じながら当日を迎えたものでした。


 

D.Oがより子さんの音楽をみんなに伝えようとするその理由


このイベントを開催したことで、より子さんは
ますます鳥取が好きになったようでして、

東京で芸能界にいらっしゃるアーティストの方と
我々のような地方の片隅で活動するアーティストが、

隔てて友好な交流を続けさせていただくようにまで
発展している今なんですが、

より子さんはとても人の気持ちを大切にして、
自分自身の想いをしっかりと持たれている方なので、

このようにちょっとしたご縁から、

ミニマムなシーンでも強い想いを抱きながら
地元を元気にしていこうとする我々にまで、

今でも笑顔を向けて交流してくださっているのです


何度も言うが、この一つのご縁が大きく発展するなんて
あの頃誰が思ったか。


けど、今まで強く抱いていたご縁ってのは、
忘れたころに実ったり大きくなったり、
ホント不思議なもので、

結局、音楽を辞めなくてよかった。と
よく振り返るんですよ。


感謝ですね。


このように、音楽や芸術という文化は、
人と人の人生をとても強く結び付けながら、

これからの世の中の未来を作ったり、
人に夢や感動ある人生を与えては、

感謝を思いながら素敵な人生を送っていく
凄さを持っています。


より子さんはそれを、ピアノ1つで
心にスッと入り込む歌を唄いながら、

伝えている活動をしているのです。


ジャンルを越えて、届く歌を。

より子さんの作品は、生演奏とは一味違い、
バンドで演奏している楽曲もあり、
めっちゃカッコいいので、

一度聴いてみてください!

 

GUARDIAN ANGEL

GUARDIAN ANGEL

  • アーティスト:より子
  • 発売日: 2014/12/03
  • メディア: CD
 

 
今は、このコロナ禍でオンラインでの活動ではありますが、

ネットのおかげで、遠い地であっても交流ができることから、

より子さんが配信するメディアに
なぜか僕がゲストで出演し、
ラジオトークすることもあったりと(笑)。


そして今度は、このコロナが終息して
またリアルな交流ができるようになる時が来たら、

鳥取砂丘や白兎神社で唄ってもらう
まちづくりイベントを開催しようと思ってます。


その時は皆さんぜひ、
より子さんを聴きに、

触れ合いに来てくださいね!!


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より子さんとの再会 ハードロックカフェ六本木 2019.10.8

D.Oのバンド活動のストーリー∞ 〜D.O and Brotherhood〜


もう40代も近い。そりゃ沢山のアレやコレやがあって今。
な、D.O(@Deeooo954)です。


今回は、色々なドラマ?の中を潜り抜け進んで来た僕の、
現在の音楽での動きを報告したいと思います。



ブルータルメモリーズを終えて、再び1人になった



2016年、ブルータルメモリーズが終わり、
僕はまた1人になりました。


けど、以前のような孤独の独りではなく、
沢山の仲間に囲まれながら1つのストーリーを終えたので、

あれだけ続けたかったブルータルメモリーズではあったけど、

スッキリとした終了を迎えられ、

終わった寂しさがすごく好きでした。


それと、ブルータルメモリーズの終了を決めた時、
同時に僕は決めていました。


これからは、1人になろうと。


あの時沢山せいじに助けてもらって
こんなにも自分を取り戻すことができた自分は、

もう人に依存しないでやっていける自分となろう、

それが、彼への恩返しだ。と。


今までは必ず、バンドの形をとって
集合体として音楽活動をして来たものですが、
(いわゆる共有名義や団体名義で)

それは、組織としてやチームとしてのカッコよさで、

これこそが活動をするということの本来の形だと思っていて、

固定観念に縛られていたからでした。


が、一度無になった時の体験や、
ブルータルメモリーズでの活動を経たことで、

形がフリーダムの方が、
みんなのやりたい気持ちだけの、

ただそのシンプルで理由なんてない思いだけで集うことができ、

個々の個性の尊重(一人一人をパーソナリティだと認識し、オリジナリティやアイデンティティを生かしたい意)だと考えるようになったからなんです。

(言ってること、ムズカシいかな。。)


もう、1人でいいんです。


上手く行くか行かないかなんて、
そこに成功などの目的はもう要らない。


ただ、やり続けて行くことや、
楽家として存在し続けて行くことだけが大切だと。


中学生の時になぜミュージシャンになろうとしてたのかって、

本当は、自分が有名になれば
テレビやラジオに出て活躍をして行けば

会えなくなっていった友達や仲間や
お世話になった恩人や地元の方々に

メディアを通して、僕と会える幸せを
届けていけると思っていたからなんです


僕はみんなと会えないけど、みんなは僕に通信で会える。


こんなことを強く想っていました。


そんな僕が今、歳を取って
人生が半分過ぎてたどり着いたこの場所で、

様式や価値観が変わって行ったとしても、
音楽をやる理由はあの頃と変わっていないんです。


今でもみんなと会い続けたいから。


オンラインやリモートやメディアを使って。


「地元でアイツは元気をくれてるなあ」
と言ってもらえれば、
ミッションはクリアなんです。


このミッションは、死ぬまで続きます。



1人の文化人として地元で知名となったD.Oが、1人でやっていく音楽活動「D.O and Brotherhood」


それからの僕は、音楽活動の名義をD.Oとして動いています。

なのに、1人だけでステージに立ったことはありません。


D.Oは1人でのソロ活動なんだけど、
その地元に根付いた僕が最愛する
「兄弟」と呼びたい仲間達をゲストに招いて、

コラボする形で演っています。

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D,O and Brotherhood ブラザーの結婚パーティー

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D.O and Brotherhood ロコロコ周年記念パーティー

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D.O and Brotherhood 山陰の○○が、お好きでしょ。

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D.O and Brotherhood 鳥取砂丘コナン空港 空の駅フェスタ

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HILE and D.O 鳥取砂丘コナン空港 空の駅フェスタ

 


ギリギリChop/HILE and D.O


まあ結局は、僕のバックで一緒に
演奏をしてくれるメンバーとして集まってもらってるんですが、

固定のメンバーではないという形にしています


都合上、ずっと継続してもらってるメンバーもいるのですが、

あくまでも、名義を同一にしていません。


こうやって、メンバーを縛らないようにしています。


なので、D.O and Brotherhoodという名前でステージに上がりますが、

D.Oとその兄弟ということで、みんな自由に触れ合っています。

(飛び込み自由みたいな感じ)



どんなコンセプトで活動をしているのか


やっぱり僕は、音楽は、
地元の文化人としてやっていこうと。


よって、鳥取弁で
鳥取のイジられるところや、
鳥取のイジられるところを詩にして(笑)、

オリジナル曲を作って唄ったりしてます。


ブルータルメモリーズでは、
音楽を演奏して地域を楽しくできたらと考え、

ラフでフリーなスタイルを意識した、
アコースティック形式でカフェバー空間で、

憩いや娯楽を提供していたわけなんですが、

D.Oではさらに
その形式を継続しながら

活動を演奏だけにとどめずに
舞台進行チームとしてなどで

司会、舞台監督、技術の構成で
ステージに上がったり回したりまでやったりしています


D.Oは、D.O and Brotherhoodは、
音楽を軸にして、演奏だけじゃなく、

舞台から盛り上げたり、
地元を楽しくしたりできるなら、
形はなんでもいいんです。

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D,O and Brotherhood イオンモール鳥取北 周年イベント 舞台進行チームで


逆に、音楽の人間が、
変わったことや、違ったこともしていた方が、

全体的な暮らしは楽しいでしょうしね。


音楽が好きな人って、国民全体の30%程度で

70%の人にも「アイツら知ってる。オモロイ。

って言ってもらえることをコンセプトにしている方が

これからはみんな幸せだと。きっと


そんなコンセプトで活動しています。



これからのD.Oは何を目指しているのか


この鳥取・山陰で、
楽家として歌を唄っている人間、
ミュージシャンであるということを軸に、

これからは、
パーソナリティー、コメンテーター、
そしてご当地キャラクターとして、

ローカルのタレントっぽく根付いて行けたらと思っています。

(そんな大層な者でも無いが、地味に周りからそう薦められるもので)


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まちづくり観光イベント 出演時 コメンテーターとして


僕のオリジナル曲の中に
「プチャヘンザとっとり」っていう、
名曲があるんですが(笑)、

鳥取が全国の中でなんでも
弱小に捉えられてしまうことをネタにした
名曲なんですが(笑)、

これ、とっとりを持ち上げるための応援歌でして、

なにか鳥取のCMやTV番組のタイアップ曲として
使ってもらおうと勝手に思い込み、
作曲した名曲です(笑)。


こんな感じで、鳥取の歌を唄うという
地元ミュージシャンによくありそうな
ベターなスタイルで、

地元で愛されていけたら
それが一番地元暮らしにピッタリな
活躍の仕方だと、

長いミュージシャンキャリアと
エクストリームな世界を歩いてきた僕には
ピンと来るものなんです


そしてこれがかの名曲
「プチャヘンザとっとり」です。



プチャヘンザとっとり/D.O

なんにもない 行くとこない
なにしょーなぁ しょーもない会話
こんなとこからアラ!意外にも
逸な才能 全国デビュー!

そんな未来になったらええなあ
そんな未来にして行かあでなあ
マツコも拾うココ鳥取
しょーから坊主も地元盛り上げとる

海だ山だ砂だけだって
ディスり書き込む都会のピーポー
砂漠じゃねーし砂丘だし
来てビビってインスタ映えだと言わせたる!

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
普段人少ないんだから
観光客受入どんどんイケる!(ポケモンか!)

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
ブルーオーシャンジオパーク
こんなとっとりに来んさいな!

「なあ、ココってなあ、人口最小の県だけー、新幹線通らんわなぁ?」
「しゃーないわいな、桃鉄でも物件が梨園かカレー屋くらいしかあらせんだけなあ。。」
「さあ、んなわりにパチンコ屋だけはしっかりあっだけどなあ。ちゃなんで。」
「おまえそんなんでだらすげなこと言っとらずに先のこと考えとかな。」

「あんな、オレ実は夢があるだわ。
有名になって鳥取っちゅうタイトル背負ってメディアを鳥取一色にしたらーかと思って。
そしたらココを首都にできんだらーか?」
「…そんならおまえ福山雅治に「鳥取にも、あったんだ。」って歌ってごせーって、ビッグになってお願いして来いや!!」

(汝等に)山の陰だと言われても
(我等は)北の陽だと言ったるで
(鳥取の)海や山で採れたうまいもんを
美味いって食っとるTOKYOだら?
「ホラ見ぃ!」

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
行くとこないならとりあえず
イオンに行っとけスタバもあるけ!(すなばもな!)

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
女優や芸人や歌手やキャラや政治家の
鳥取出身よ、電波に乗ってドヤ顔カマしたれー!

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
鬼太郎とコナンがそこら中
土産コーナーでぶら下がって数字出す!(あっとろし!)

プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!(プチャヘンザ!)
プチャヘンザ!とーっとーりー!
キャッチザスター!ウェルカニ
そんなとっとりに居んさいな!



プチャヘンザとっとり/D.O

 
という感じで、音楽は自由でそして、
みんなを元気にできるエレメントです。


考え方一つでどうにでもできて、
その考え方を表して伝えていく世界が
音楽というカルチャーです。


それと、僕を知らない人は50000といます。


そんなことはどうでもいいんですが、

僕はもうすぐ40歳。色々振り返れば、
自分は短命だと思っているから、

あと20年の人生。
まあまぐれで長く生きても倍の40年。


人は死ぬまでに20000の人と出会うと言われていますが、

じゃあ既に出会って仲良くなって、
喧嘩して別れて思い出となったり、

中々会えなくても繋がっていたい、
と思う今までの10000の人と、

これから運命として知り合うことになっていて、

残る人生の1ページを少しでも笑顔で共にするであろう
これから出会う10000の人のために、

そして、応援してくれているその他の人を裏切りたくないから、

そのみんなのために僕は、
ただ、音楽をするんです。


していくんです、続けていくんです。


ちなみにどんなサウンドを演奏しているかというと、

I Don't Like Mondays.、Suchmos
Jamiroquai大橋トリオ
THE CHAINSNOKERS、Justin Bieber、
Thundercat、韻シスト木梨憲武など、

ファンキーでデジタルなサウンド
ちょっとムーディーなR&Bを混ぜたような感じです。


ビジネスは電波で高速に回ってる現代ですが、
カルチャーはスロウなライフでいいじゃない


そんな感じをビジネスライクに活動する将来も
在っていいかもしれないですね。


ということで、ぼちぼち、末永く、
肉体を使い切って骨しか残さないように、

これからもD.Oをやっていきまーす。



D.Oのバンド活動のストーリー⑤ 〜ブルータルメモリーズ〜


D.Oの第二の人生は、ここから始まった。


それくらいブルータルメモリーズは、
感動を記憶に残してくれました。


D.O(Deeooo954)です。


RENEGADERを終えたとともに、音楽人生も終えようとしていた…


意気揚々とやっていたデスメタルバンド、
RENEGADER。


そのデスメタルバンドの活動を終えたのは、
デスメタル以上に大切なモノに気付かされ、
それを機に色々と壮絶な体験も重なって、

一度ボロボロの自分となってしまったためなのですが、

それから何もかもを否定してしまい、
(今まで必死でやってきたことを特に否定する)

今まで何やってたんだろう。とか、
これからに未来なんかねぇ。とか、

とにかく哲学的に考えてしまって
病んで行ってしまったからでした。


もう、飽和している自分と、
何もする気が無くなってダメになった自分とで、

落ちるとこまで落ちてしまって行ってたんです。


バンドを終えてからの僕は独りとなり、
ただ生活の為に仕事だけしている状態で、

休日が来ても独りだけでただ海を観に行ったり、

ただソフトクリームを買いに行って食べてみたり、
そんな魂の抜けきった自分になってしまいました。


自己否定にまみれて気力が無くなった僕は、
以前のオラオラな自分をとにかく消したくて、

ギターを売り払ったり、
衣装だった迷彩服や奇抜な私服を全て捨て、

BURSTっていう悪い内容の雑誌を毎月買って集めていたんですが、

ゴシップやサブカルの度合いが卑劣過ぎる内容の雑誌だったので、

それも全て捨てました。


とにかく、あの頃の自分を作り上げて来たものは
全て処分していきました。

そして、大して気もないのに
今まで気にもしなかったCDや音楽雑誌を
適当に買ってみては、

無気力に聴いたり観たりしながら、
ただただ途方に暮れたまま生活をしていました。


そんな抜け殻となった生活から半年が経った頃、

あまりに何もない自分に苦しさを覚えるようになり出し、

5000円で中古のアコースティックギターを買ってみました。


やっぱ音楽で90%できてしまっていた自分は、

完全に音楽を無くすことができなかったみたいで、

何かを演ってまた生き甲斐を取り戻したいと思うようになったのです。


とても簡単でとても楽なスタイルで、
とにかくなんでもいいからステージに立ちたい。


じゃないと、自分の存在がわからないままで生きているほど苦しいものはない。


そんな思いが再びよぎるようになって行きました。


そして僕がとった行動は、

大の仲良しだったヘビメタ仲間を誘って、
今まで演って来なかった形の音楽ユニットをやる

ということでした。


あれだけメタルを否定するようになったのに、
ヘビメタ仲間を誘うなんてと
またヘンな気持ちが駆け巡りましたが、

彼はヘビメタとしてってより、
人として仲良しだったのです


彼は、Seizyという、
因幡ヘヴィメタル連合を一緒に立ち上げた人物でして、

僕が演っていたヴァイオレンスなデスメタルとは180°違う、

ロディックなパワーメタルを演っているヴォーカリストでした。


彼はヴォーカリストとしてパワーメタルバンドを演っているし、

僕はヴォーカリストとしてデスメタルバンドを演っていたし、


そんな2人が、綺麗で優しい歌を唄うデュオとしてステージに立ったら、
みんなどんな反応をするだろう?


という想像だけが、わくわくさせてくれたのでした。


その頃ちょうど、月刊EXILEの創刊号を手に入れた頃で、

EXILEのような人間になって行きたいと思い始めた頃でもあり、

ヴォーカリストとして彼等のような温かい歌を唄えるようになれたらと思うようになっていました。


実は、孤独に過ごしていた半年もの間、
僕は週4でカラオケに行き、
めちゃくちゃ唄の練習をしていたのです。

独りで。


僕のヴォーカルはデスヴォイススタイルだったし、

しかもまともにVo.をやり出したのが、
RENEGADERからだったので、


決して上手に唄える方ではありませんでした。


それなのに凄すぎる歌を唄う、
CHEMISTRYEXILEくらい唄えるようになりたいという一心から、

たった独りで唄を練習していました。


おかげさまで、その後に立って行ったステージでは、

それなりに唄える自分で活躍することができました。


なので僕等は、

メロディックパワーメタルバンドのヴォーカルをやっているSeizyと、

ヴァイオレンスデスメタルバンドのヴォーカルをやっていたD.Oが、

優しく華麗に唄いあげる

バラエティヴォーカルデュオユニット。



というプロフィールをキャッチコピーにして、

2人ともヴォーカルだということをしっかり位置付けるように、

2人ともパートをVo.と表記して活動していくことにし

2009年より少しずつ活動をスタートしていきました。


そして2人のユニット名は、
「ブルータルメモリーズ」


意味は、残虐非道な思い出。
ダメな名前ですね(笑)


どういう意味なんですか?と聞かれる度に、
答えにくかったのをよく覚えています。
(じゃあ付けるなよ…)


ガチンコでデスメタルを演っていた過去の自分を揶揄するために、

こんな訳の分からない名前を付けちゃったのです。。


というわけで僕等2人は、
2人ともヴォーカルとしてステージに立つ形式で

このユニットを演って行きました。


そう、最初はカラオケという形で
ステージを演っていたんです。


まあ、大のミュージシャンがカラオケ大会でもないのに

カラオケでステージに立ち、

CHEMISTRYEXILEを唄うワケだから、

絶対に上手じゃないと話が通らない


と尻に火を付けながら、
当初このスタイルを続行していました。


こんな、アホなことを始めた2人でしたが、
その後どんどんと話題を呼んで行くことになるのです。



ヘビメタだったD.Oから、ポップスのD.Oでの再スタート

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ブルータルメモリー

 

そんなブルータルメモリーズの初ライブは、
地元の本屋さんの周年イベントでした。


その本屋さんでは、
CDコーナーの踊り場がステージとなっていて、
ソコでカラオケを5曲歌いました。


ブルータルメモリーズは、
そんなスタートで幕を開けました(笑)


ショップのイベントだったので、
まあ隔たりなく喜んでもらえたステージでした。


それを機に、
今までバンドでライブハウスや野外フェスでしか出たことの無かった2人は、

納涼祭でリサイタルを演ったり、
地域の観光イベントで演ったり、

演歌のカラオケ発表会に誘われては、
ハーモニーを聞かせた唄を届けたり、

今までに体験したことの無い場所でライブをすることが主になって行きました。

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ブルータルメモリーズ カラオケ発表会

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ブルータルメモリーズ カラオケ発表会


よく唄っていた曲は、
やはりCHEMISTRYEXILEでした。


CHEMISTRYは、

You Go Your Way
My Gift To You
Almost In Love

EXILEは、

・Everything
・Someday
・I Wish For You
・Rising Sun
Choo Choo Train

をよく披露してました。


CHEMISTRYはバラードナンバーを、
EXILEはダンスナンバーを
カヴァーしていたわけなんですが、

CHEMISTRYではとにかく歌唱で勝負するために披露し、

EXILEは会場をドカンとバズらせるために披露していました


なので、僕等としては、
プロフィール文に鳥取CHEMISTRY
と謳ってステージをこなしていたのですが、

オーディエンスのハマユージというヤツなんかは、

毎度ステージが終わった後にこちらへ来ては、

「デキ損ないのEXILEだとディスりやがり、

ムカッと来たので、
その場にあったスリッパで
シバき合いが始まるという流れが後を経ちませんでした(笑)


なので、EXILEのナンバーを披露する時にコーラスが欲しい時は、

たまにハマユージをゲストで迎え入れて、

彼に唄ってもらったりもしていました。


するとヤツは、
僕等2人がフロントで唄って会場をバッチリ盛り上げている本番中なのに、

なんと勝手にセンターを取りに来やがったのです。


もう僕等2人はビックリで、本番中なのに、

ムカッと来たので、
その場にあったスリッパで
シバき合いが始まるという流れは茶飯事でした(笑)


そんなことを演って活動をしていると、
こんな依頼がありました。


鳥取県は「食」を推進している県で、

美味しい農産物や海産物が沢山とれることで有名なのですが、

魚のサバの卸を産業にして営んでいる地方がありまして、

それをモチーフにした食のイベントで「鯖サミット」という

ユニークなイベントが開催されているのですが、

その中で地元アイドル達と同じ扱いで出演をお願いされ、

サバザイルをさせられたことがありました。

お仕事で(笑)。


EXILEを唄って踊ってくれという依頼だったのです。


しかも、午前と午後の2公演で。


僕とせいじは、ATSUSHIとTAKAHIROをやって、

ダンサーには、鳥取大学のダンス部をバックにつけて、

EXILEを再現するというミッションでした。


そして僕等は、
これは、これだけは、
デキ損なってはならない!

という強い使命と責任を持って
このミッションを承ったのです。


それからの当日までの日々は、

ブルータルメモリーズが唄と演出の特訓、

鳥取大学ダンス部が振付とフォーメーションの特訓を積み重ね、

当日1週間前になれば、全体でのリハを重ねて

サバザイルを完成させて行きました。


そして当日、本番2公演ともに、
会場は盛大な盛り上がりを見せ、

EXILEの(OKAXILEも)PERFECT YEARならぬ、
PERFECT サバーとして喝采に終わりました。


その当日のステージの様子がこちらです。

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ブルータルメモリーズ サバザイル@鯖サミット

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ブルータルメモリーズ サバザイル@鯖サミット

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ブルータルメモリーズ サバザイル@鯖サミット

 

ブルータルメモリーズ サバザイル@鯖サミット 第1部

 

ブルータルメモリーズ サバザイル@鯖サミット 第2部

 

 

他には、CM撮影をしてもらったことがありました


とある制作会社の新企画へのモニターとして、
僕等はCMを作って頂くことになったのです。


このCMは、クタクタでやけくそになっているD.Oを、

Seizyが迎えに来て、また音楽をさせようとギターを与え、

ブルータルメモリーズが始まった。

というストーリー仕立となっています。


コンテと演出は、僕が担当しました。


そのCMがこちらです。

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ブルータルメモリーズ CM撮影風景

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ブルータルメモリーズ CM撮影風景

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ブルータルメモリーズ CM撮影風景

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ブルータルメモリーズ CM撮影風景

 

ブルータルメモリーズ CM

あと、こんなこともありました。


僕等はあくまでも音楽ユニットだったわけなんですが、

砂丘の中心で愛を叫ぶ」という、
あの鳥取砂丘のどまんなかを舞台にして、

カップルが上と下で向かい合って
告白をするというイベントに出演させられたことがあったんです。


鳥取砂丘のどまんなかには、
馬の背と言われる、
巨大な砂の斜面があるのですが、

そのてっぺんから、
そこのたもとにいるパートナーへ愛の告白をし、

それを聞いたパートナーは、
馬の背のてっぺんにいるパートナーへ

返事を返すという、ただそれだけのイベントです。


もう一度言いますが、僕等はあくまでも音楽ユニットだったわけなんですが

てっぺんが僕で、たもとがせいじで、
叫ばされたんです(笑)


…僕等は男性同士で、ヘンな関係ではありませんので、

愛の告白をするワケではなかったため、

何を叫んだらいいの?ってさんざん考えて、
結局こんなことを叫んでみました。

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ブルータルメモリーズ 砂丘の中心で愛を叫ぶ


D.O「最近よぉ、俺達は鳥取CHEMISTRYだって言いながら唄って行ってるハズなのに、ステージ演ってるとクスクス笑われていることが増えたじゃねえか!!一体どういうことなんだよ!?」

Seizy「それはおまえが大して出来もしないのにEXILEを演ろうって言って、唄って踊ってばっかやってるんだから仕方がねぇじゃねーか!!」

砂丘会館のニュースクール「そーだそーだ!!」

D.O「なんでおまえが入って来やがるんだよ!!
じゃああれか?それは俺がEXILEも華麗に優雅に再現できるようになりたいからって提案したことが間違ってたって言いてえのか!?」

Seizy「ああそうさ、せっかくみんなに俺達の素敵さを分かってもらえて来たところなのに、結局はデキ損ないのEXILEって言われ始めたのは、どうみてもおまえのせいだろーが!!」

D.O「なんだとー!!」

Seizy「なんだとー!!」


そして叫び終わった時、その直後にとった行動が、

馬の背のてっぺんからと
馬の背のたもとから走って行って、

決闘のために真ん中で落ち合って取っ組み合いをする
という演出でオチを付けてやろうと考えていたんですが、

僕はあの斜め45°の馬の背の斜面を、

ものすごい勢いで走り下りるために、

斜め45°の角度のまま、走ったのです。


そして、走ってすぐに、
そのままの勢いで、
ドンキーコングが投げた樽が転がっていくような感じで、

下まで転がり落ちました。縦に回転しながら(笑)


そりゃそうなりますよね。。


せいじも、ちょっと駆け上がった馬の背から
なぜか同じように転がり落ちていましたが、

2人は安否を確認されながら
大笑いされていました。。


だけど2人はやっぱ仲良し
みたいな着地をして、

2人による茶番劇は終わりました。

 


まあ、ブルータルメモリーズは
バラエティーの幅が広すぎた活動だったということです(笑)



ブルータルメモリーズで一番やったこと、それは「まちづくり」だった


ブルータルメモリーズと言えばコレ
という物事があります。


それは、因幡ヘヴィメタル連合の時のように、
ブルータルメモリーズが主催する音楽イベントを開催していた

ということです。


こちらもイベントに価値を出す為に、
年に一度のペースで行い、

多種多彩な地元ミュージシャンを招いては、
バラエティに富んだ音楽パーティーとして開催を続けてました。

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.4


以前はガッチガチのバンドを演っていた自分だったので、

イベントもバンドフェスとして開催するものばかりでしたが、

ブルータルメモリーズとなってからの僕は、

アコースティックやカラオケで活動してたので、

イベントもゆるくてラフに楽しんで頂けるものにしてました。


ライブハウスのようなオールスタンディングではなく、
テーブルとイスをセットして、

座りながらショーを楽しんでもらう形に。


食事を楽しんでもらいながら、
お酒を楽しんでもらいながら、
会話を楽しんでもらいながら、

というスタイルで、
お客様にはくつろいでもらう形に。


そして、出演者さん達も、
演奏スタイルがアコースティックな形で
活動しているグループのみで出演を構成してました。


なので、開催会場は
とことんこだわって企画していきました。


普段は音楽をするところではないようなカフェやバー、
それになんとビルの屋上を会場にし、
野外パーティーとして開催したこともありました

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 Vo.5

 

鳥取のバンドのイベントって、

主催者がプロデュースとディレクションをするものに、

メンバーシップとして出演バンドが集まり、

そのイベントライヴへ参加料を支払って出演する形を取るものなんですが、

(出演バンドはチケットを売って、その支払った参加料をペイできる仕組みで集客を行う)

このブルータルメモリーズのイベントは、

ブルータルメモリーズが出演を依頼する流れでアーティスト達が集まり、

主催の僕等が御礼としてギャラやバックマージンを支払い、

主催と出演者とで集客をしていく形で開催してました。


傾向として、集客を必死で行うのが主催のブルータルメモリーズとなるため、

広報にもめっちゃ力を入れていました。


なので、開催チラシのデザインや
キャッチコピーにもとことんこだわり、

バンドライヴにあるあるの手刷や自作のチラシではなく、

ディレクションから企画して校正し、

印刷会社で刷った広告をリリースしていました

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そのため、広告費は一切ケチらず、
普通のバンドライヴで使う予算より遥かに投資し、出版してました。


おかげさまで、たくさんのお客さんから、
チラシが印象的だったと言われウケがよく、
毎回の開催が満員御礼となっていました。

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ブルータルメモリーズ 山陰中央新報 記事掲載

 

そんな感じで開催を続けて行くと、

運営のためのお金をしっかりと経理しなければならない規模で動かして行くようにまでなって行き、

スポンサーまで集めて開催するようになって行ったのです。


もうここまで来たら、
単なる音楽パーティーだったハズのモノが、

地元の観光や文化を元気にすることをタイアップにして広報するようになり、

とうとう、一つのまちづくりイベントとして見てもらえるようになったのです。


このイベントのタイトルは、
「山陰の夜が、お好きでしょ。」


演歌歌手の石川さゆりさんの名曲、
ウイスキーが、お好きでしょ。から引用し、

大人の優雅なパーティーであることを表しながら、

山陰・鳥取のような田舎でも
地域文化として音楽が生活の癒しになっていることを伝えてました。

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 FINAL

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 FINAL

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 FINAL

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 FINAL

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ブルータルメモリーズpresents 山陰の夜が、お好きでしょ。 FINAL

 

こうやって時間を辿ってみると、
あれだけ全てを捨ててった僕が、
こんな形でこんなにもカムバックし、

新しい自分で活躍して行ったこと、
自分でも不思議に思います。


けどこうやって、人は生まれてから変わらない何かを持って生きていくのでしょう。


だから、結局どこかでその自分を宝物にして、

その自分を世の中に提供して活躍することで、

否定して来た過去に感謝できる時が来るのだと思います。


これは、形がどうであれ、
幸せに向かって行くためのストーリーだったのです。


それを歌にしたオリジナル曲を
2015年にCDとして発表しました。


タイトルは、「Arise Again And Again」


このCDのリリースなんですが、
実はブルータルメモリーズの解散を決めた時に
リリースをしました


リリースの時にはそんなことは誰にも言ってませんでしたが、
終えることは決まっていたのです。


なので、このCDをリリースしようと企画した当初は、
500枚や1000枚はプレスして、

たくさんの人にブルータルメモリーズを知ってもらえるように活躍して行こうと思っていたのですが、

それぞれが次の人生のステージへ向かうこととなったので、

100枚限定の豪華記念版として、
1曲のみ入りのCDとして発売しました。
(正しくは1曲のヴァージョン違いで2曲入り)

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V-air FM山陰:あまばん2015 ブルータルメモリーズ Arise Again And Again

 

そしてブルータルメモリーズは、
2016年3月、歴史に幕を下ろしたのです。



このブルータルメモリーズでは、
CHEMISTRYEXILEの他に、

とんねるず、Philip Bailey&Phil Collins
CHAGE&ASKAPeabo Bryson&Regina Belle
John Cocker&Jennifer Warnes、Sarah Brightman&Andrea Bocelliなどの、

デュオで歌っているナンバーを中心に、
カヴァー(カラオケ)をしていました。


ミュージシャンとしては、
自分達のオリジナルソングを沢山引っ提げて
活動していくものだと思いますが、

僕等は、みんなが、地域が、元気になってもらうために活動をしていたので、

このように、楽しいことが披露できるなら、

どんな形でもいいと思って、

一番元気に笑顔にできる形で演って行っただけだったんです。


それは、僕が全てを失った時に、
ただ元気で楽しいこと、ただそれだけが、
自分を救ってくれたから、

それに感謝してきた僕だから、
音楽を始めた頃の気持ちに戻って
活動しただけだったのです。



2020年現在、またやってほしいの声が、
今だに耳に入ってきます。


2人がまた、今の生活での課題や目標を達成し、
再び帰って来れる時が来るまで、

ブルータルメモリーズは、
みんなの思い出の中で
いつまでも唄っていることでしょう。




D.Oのバンド活動?のストーリー④ 〜因幡ヘヴィメタル連合〜


ここまで昔を振り返ってみると、
異端なことばっかやっていた当時の自分が、
今ではまあこんなにも変わったもんだと、

自分でも不思議に思った、D.O(@Deeooo954)です。

 

 

憧れた都会からリターンしたD.Oがやってみたかったこと

 

僕は2004年に、福岡県北九州市から、
地元の鳥取県鳥取市に帰りました。

 

 

音楽に対する熱意や、将来に描く目標は
変わっていませんでしたが、

生活基盤をダメにしてしまったことによって、
一度地元で再建をしてから
次は東京へ行くことを計画するためでした。

 

 

都会へ出ていったあの頃の自分は、
とにかく鳥取を否定していましたし、

もう鳥取には戻らねぇって
ツバを吐いて旅立ってたんですが、

都会での暮らしにめちゃくちゃ苦労して分かったことが、

地元の良さだったんです

 

 

こうやって、いつかは再び都会へ、
次は東京へ行こうと思って
福岡を後にしたのだけど、

それまでに滞在する久しぶりの鳥取くらいは、
あの頃鳥取に住んでいながらも出来なかった、
やり残していたことをやって、

それから行こうと考えていました。

 

 

そして、再び鳥取にいる間は、
地元の郷土芸能や、地域の行事など、
地元に密着して色々とやっておきたかったんです。

 

 

そんな中に、しゃんしゃん祭りがありました。

 

 

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しゃんしゃん祭りは鳥取市の祭りの中で最大な規模の祭り

 

ということもあって、小さい頃の思い出から
また出てみたいと思っていたのです。

 

 

この祭りは、チームを構成し、
そのチームが何十団体も出場して、

鳥取市中心市街地の道に列を作って
傘を持って一斉に踊るというものなんですが、

色々な個性を持った団体が沢山出ていることが魅力です。

 

 

各団体でそれぞれ衣装が違い、
それが団体で統一されていたりして、
とても鮮やかに見えるのですが、

それを観てて思ったことが、

俺、ヘビメタだから、ヘビメタの集まる団体で出場したい。

でした。

 

 

僕は、あのX JAPANとその仲間達が、
天才たけしの元気が出るTVの中で、
強烈な格好で街の中を歩いていて、

街中の道ゆく人がビックリして見ている絵を、
ずっと再現したいと思ってて、
それでヘビメタになったくらいです

 

 

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それを大勢の観客の前で、
それをあのしゃんしゃん祭りで
再現できたらどんなに凄いことになるのだろう。

と、企んでいたのです。

 

 

とうとうヘビメタが、しゃんしゃん祭りに現れることに!
ヘビメタとして、地元の郷土芸能をやってみたら、こんなことになった!!「因幡ヘヴィメタル連合」

 

そしていよいよ地元に帰って来た僕は、
しゃんしゃん祭に出場するためにはどうしたらいいのかを、

コツコツと調べ始めました。

 

 

調べて行くと、なんとまあ
案外簡単に出場できるんだということを知りました。

 

 

演舞をする内容として、
祭側が指定する踊り方を2パターン踊れるようになることと

20名の団体を構成すること

以上。

 

 

地元企業や学校などの団体が出場している祭りなだけに、

団体のあれこれを明確に証明するかのような重要書類の提出や、

(本当にヘビメタかどうかを証明しないといけないと思っていた)

厳選なる審査が行われた上で、
最終選考まで勝ち上がってやっと
出場できるのだろうと思ってましたから笑、

(コンテストの出場体験に基づいてイメージしてたから)

え?こんなに簡単に出れたんだ。

って正直たなぼたでした。

 

 

ということで、ガサッと20名を招集し、
踊りを覚えるために練習スケジュールを組み立てようとしたところ、

鳥取駅前の風紋広場にて、開催前の2週間の毎日、

しゃんしゃん傘踊り講習会が行われるから、

それに参加したら覚えられるよ。」

って祭側から教えてもらえました。

 

 

めちゃめちゃ参加しやすい祭りじゃないか!

 

 

って思いました。。

 

 

その案内に従って、我々因幡ヘヴィメタル連合は
駅前広場にて練習を積み重ねては、

踊りを踊れるようになって行ったのです。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん傘踊り練習中

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん傘踊り練習中


その練習には、他にも色々な人達が参加して
一緒に踊りを練習して行く形だったのですが、

僕等が練習をしていた輪から少し外れたところにて、

なんかより鮮やかな振り付けの踊りを練習している人達がいました。

 

 

そっちをよく見てみると、
なんとまあ綺麗で美しい女性たちが
華麗に踊っているではありませんか!!

 

 

その風景を目撃した僕とあと1名(せいじ)は、

やっばそっちの輪に勝手に乗り込んで行ってしまった訳でして笑、

その凄い振り付けの踊りの練習をしていた美女達の輪に乱入しては、

見様見真似で踊り出したのです。

 

 

それはそれは着いて行くのがやっとな振り付けで、

それでもなんとかその踊りを踊りきると、

その美女達が声をかけて来てくれたのです。

 

 

美女「凄いですね!しゃんしゃん祭りに出られるんですか?」

僕等「はい!それであっちで練習してたのに勝手に入っちゃって失礼しました。。」

美女「笑、何という連で出場されるんですか?」

僕等「因幡ヘヴィメタル連合です!」

 

 

その瞬間、ドッカーン!ですよ(笑)

 

 

案の定、大爆笑されました(笑)

 

 

その忘れられないネーミングと、
アホな男達の必死な踊りが功を奏したのか、

僕等はその美女達と、
その後何回かイベントなどで交流することになって行くのです。

 

 

そう、その美女達は、
しゃんしゃん鈴の音大使さんだったのです。

 

 

どおりでお美しいワケだ。。

 

 

そしていよいよ、しゃんしゃん祭当日の1週間前となる頃、

RENEGADERのメンバーから一本の電話があり、

ラジオを聴いてたら、しゃんしゃん祭にヘビメタが出場するらしい!って、
番組で話題になってるゾ。

と聞かされました。

 

 

なんだって!?と驚き、

おっしゃキターっ!!と喜び、

ますます当日が楽しみとなりました。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭の前日にて

 

そして当日がやって来て、
その日の朝から僕の家に10名ほど集まって、

みんなで顔を塗ったり髪を立てたりして準備をしていたのですが、

その最中に偶然、ラジオをつけていたのです。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 D.Oのメイク中

 

そう、そのラジオが先日、
ヘビメタがしゃんしゃん祭に出場することを話題にしていた番組で、

生放送中でした。

 

 

それに気づかず、日常のように番組を聴いていると、
なんとヘビメタ出場の話を改めてし始めたではありませんか!!

 

 

その瞬間、僕等の手は止まり、
その放送に聞き耳を立てていると、

コーナーの最後にメールアドレスを知らせていたので、

因幡ヘヴィメタル連合、聴いてます。
って番組にメールしてみよう!」

ということに。

 

 

するとするとなんとなんと!、
CM明けにそのメールが読まれて、
番組がめちゃくちゃバズったのです(笑)

 

 

僕等はまだ出場すらしてもいないのに、
もう歓喜の渦で拍手喝采

 

 

昇天するって
こういうのをいうのか!って
感無量になっていました。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 いざ、しゃんしゃん祭の会場へ出発

 

そして昼から祭会場に集合した僕等は、
実はテレビ番組の収録を行うことになっていました。

 

 

当時、電波少年というテレビ番組で、
大学受験のために引きこもり生活をしながら
大学合格を目指す企画に出演していた、

お笑い芸人の坂本ちゃんがリポーターとなり、
しゃんしゃん祭を取材するという番組に、
因幡ヘヴィメタル連合が抜擢されていたのです。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 日本海テレビ出演時


さあ収録も終わっていよいよ、
お祭りスタートのために定位置に着いた本番5分前、

僕の携帯電話に一通のメールが届きました。

 

 

それは、朝の仕込み中に聴いていた
あのラジオ番組からだったのです

 

 

担当のアナウンサーさんからの直々のメールでして、

その本文には、今日の番組へのメールに対するお礼が書かれていて、

その下になんと!!、

「明日、このラジオ番組に
お電話にて生出演していただけないでしょうか?」

って書いてあるのです。

 

 

これはもう
しゃんしゃん祭に出てる場合じゃない!
そのラジオ番組に出てる場合じゃないか!

って感じで、ワケが分からなくなっていた本番5分前。

 

 

おかげさまで、その時の祭の本番では、
因幡ヘヴィメタル連合の演舞とパフォーマンスが、

一番話題となったことは言うまでもありません。

 

 

BSSラジオ:ご近所わいど 今日もハレルヤ!

 

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭初出場の時

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因幡ヘヴィメタル連合 BSSラジオの桑本アナと木野村アナと

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭2007

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因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん鈴の音大使の未希ちゃんとD.O

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因幡ヘヴィメタル連合 鳥取ゆるキャラトリピーとD.O

 

そして因幡ヘヴィメタル連合は、伝説となっていった

 

こんな感じで、因幡ヘヴィメタル連合で
しゃんしゃん祭に出場しただけだったのに、

鳥取の芸能には、ヘヴィメタルがつきものかのようになっていきました。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 観光イベント出演の合間にて

 

その後の僕等は、
まちづくりの観光事業やイベントに、
因幡ヘヴィメタル連合として招かれては、

ヘヴィメタルなんかやるようなところではないところで、

ヘヴィメタルなんか絶対関われないような観光事業で、

ライブパフォーマンスや
パネルディスカッションを
行うようになっていったのです。

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 マチナカ活性観光イベント Tottori Magic Orchestra


そしてそこにはあの
しゃんしゃん鈴の音大使さん達も参加していることもあり、

僕等はまるで、
しゃんしゃんヘビメタ大使かのように扱われていました(笑)

 

 

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因幡ヘヴィメタル連合 鳥取三十二万石お城まつり2005

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因幡ヘヴィメタル連合 鳥取三十二万石お城まつり2006

 

そんな中、我々因幡ヘヴィメタル連合で、
バンドライブのイベントを年一で開催していました。

 

 

楽家が本当の僕等は、
祭りでブレイクしたのはいいが、
それを本業に落とし込んで行かないと、

なんのためにしゃんしゃん祭に出たのか分からない。

 

 

それだけは忘れていなかった我々は、

因幡ヘヴィメタル連合presents やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな!!」

というタイトルの音楽イベントを開催し続けたのです。

 

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因幡ヘヴィメタル連合 やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな! !
入場窓口の風景にて


そのイベントは、鳥取県という人口最小で、

どのカルチャーも確立して栄えることがないこのド田舎でも、

凄いモノをやってやろうじゃねえか!

という想いで開催していたので、

ヘビメタが主催しているのに、

J-POPやROCK、PUNKやFOLKなど、

鳥取にて活動している多種多彩なミュージシャン達を集めては、

地元の大物アーティストや県外のツアーバンドも交えながら、

ビッグな音楽フェスとして開催し盛り上がっていきました。

 

 

というわけで、バンド活動?の一環で、

というか、ミュージシャンだとハッキリしている奴等が、

しゃんしゃん祭への出場という、

バンド以外の大きなシーンでも活躍したこの功績が、

その後のしゃんしゃん祭に大きな進化をもたらしたのです。

 

 

我々因幡ヘヴィメタル連合は、
2004年から2007年までの4年間、
しゃんしゃん祭に出場し続け、

初年次年の頃は、僕等のように
野から発生した自主団体の連の参加数は、
まだまだ10%程の数でしたが、

それが出場最後の年には、
30%くらいにまで増加してきて、

僕等の様に個性とインパクトの凄い、
傑作な格好をして踊っている連がどんどん参加し始めたのです。

 

 

そして、その参加最後の年から初参加をした連などが、

その後のしゃんしゃん祭の才能溢れる凄いチームとなって、

天皇陛下の即位礼などの行事で踊りを踊ることにまで至っています。

 

 

今のしゃんしゃん祭は、
自主団体の連の参加が50%に近いのではないでしょうか。

 

 

それくらい、鳥取を代表する、
鳥取を全国へ有名にして行った
お祭りへとなっています。

 

 

その歴史のスタートに、
因幡ヘヴィメタル連合が火を付けたと、

革命の様なレジェンドだったとして今でも語り継がれていることを、

グランプリを取りまくっている現役の演者さん達から知らされた最近。

 

 

それを聞いて、またちょっとだけ、
めちゃめちゃ久しぶりに、
因幡ヘヴィメタルを復活してみたいなあって、

なんか、ふと思いました(笑)

 

 

⑤へ続く…

 

D.Oのバンド活動のストーリー③ 〜RENEGADER〜


過去を振り返り続けていると、
否定していた過去の良かったとこ悪かったとこ、
よく見えてこりゃえーな。

の、D.O(@Deeooo954)です。

 

 

都会から故郷へ。再スタートを切ったD.Oの、Re:鳥取での活動の野望はこうだった


22歳の時に、故郷の鳥取へ戻りました。

 

 

その前に、福岡でやっていたADVISORYのラスト1年という時に、

地元への凱旋ライヴができたらなあという思いから、

鳥取の夏の風物詩である
青い鳥コンサートへの出演を達成したわけなんですが、


その時に、鳥取で活動していたヘヴィメタルバンドやハードコアバンド達と
そのコンサートをきっかけに出会い、

僕が鳥取が地元ということから、
遠く離れたところ同士で交流が始まってました。

 

 

実はその頃にはもう、この地元の鳥取へ帰って、
改めてまた東京進出を練り直してみようかと
考えていたりしていて、

どうであれもう一度、鳥取での展開を構想してもいたんです。

 

 

そしていざ帰ってきてからは、
このヘヴィメタルバンドやハードコアバンドのみんなに、

鳥取の音楽カルチャーやスポットを紹介してもらいながら、
ますます交流を深めて行きました。

 

 

併せて、帰郷からすぐバンドを始めたかったのですが、

やはりデスメタルバンドをやってる人が鳥取には居なかったので、

またちょっとの間は地元の暮らしになれる生活しかやれることが無い日々。



まあ戻ってきて少しのうちは一人でまっさらな状態で、
久しぶりの故郷を楽しんでもいいなという感じで生活をしていました。

 

 

それと、一度地元を離れてみると、
地元への新たな発見があったり、
改めて触れてみたいことへ興味が湧いてくるものでして、

 

この鳥取県鳥取市でお盆に昔から開催されている、

鈴のついた傘を持って踊る「しゃんしゃん祭り」というのがあり

せっかく久しぶりに鳥取に帰ってきたのだから、

それに出てみたいと思っていたのです。

 

 

小さい頃に1度だけ出場したことがあったこの祭りでしたが、

基本的には地元の企業や学校などの団体が出場しているものだったので、

その辺の野からは出場できないものだと思っていたのですが、

20名を集めて団体を構成して、
規程の踊りさえ踊れたら
出場可能だということを知ったのです。

 

 

そこで思いついたのが、
ヘビメタがステージ上でやっているコスチュームとパフォーマンスのまま、

ヘビメタが傘踊ってたら、人々はビックリするのでは?
でした。

 

 

そのしゃんしゃん祭への出場のために僕は、
交流のあった少ない数のバンドマン達に相談し、

そのバンドマン達のそのまたバンドマン達に声をかけてもらい、

そして20名を集めて出場しました。

 

 

その名も因幡ヘヴィメタル連合」

 

 

…笑われまくりましたが、
なんと、その名前が話題を呼んで、
出場前に有名になってしまったんです。

 

(このしゃんしゃん傘踊りのことは、後日また記事をアップします。
面白いと思うので、乞うご期待!)

 

 

その出来事を機に、
色々な音楽仲間と繋がることができて、

結果、念願の鳥取でのデスメタルバンドを
結成することになりました。

 

 

バンド名は「RENEGADER」。

 

 

反逆者という意味だったので、
因幡反逆武装勢力〜 というキャッチフレーズまで付けて、

(X JAPANでいう
psychedelic violence crime of visual shockや、

インディーズ時代のL'Arc-en-Cielでいう
psychosonic shakeみたいなヤツ)

ADVISORYの頃よりも
邪悪なコスチュームとサウンドで、

鳥取市初のデスメタルバンドとして
スタートすることになったのです。

 

 

 

福岡で見てきた画、聴いてきた音、感じてきた熱、それを鳥取で再現してみたバンド「RENEGADER」


このRENEGADERでは、
福岡でやってきた成功や失敗を活かして、

福岡でやってきたことをそのまま鳥取でやったらたぶん、
みんな白目向いてビックリするだろう。

って思ってたことをやっていくと決めていました。

 

 

なので、ADVISORYの頃のようにコープスペイントをして、

ADVISORY時代よりもより激しくて邪悪なサウンドで、

キャラクターやヴィジュアルももっとガチな感じにし、

ヴァイオレンスなデスメタルバンドとして活動していました。

 

 

そして、デスヴォーカルをやってくれる者だけがどうしても見つからなかったため、

ずっとギターリストだった僕が、
これを機にいよいよ
初めてヴォーカルをすることになったのです。

 

 

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RENEGADER FIRST LIVE

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RENEGADER RENEGADER vs DESPERADO

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RENEGADER #3

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RENEGADER やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな!Vo.1

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RENEGADER D.O X JAPANのToshlさんと 鳥取市わらべ館にて


とにかく相変わらず、こんな音楽の存在事例が無い鳥取県鳥取市でしたので、

集まってくれたメンバー達は皆、
したことないけどしてみたい者の集まり。

 

 

中々生粋な者達がメンバーとなってプレイしてくれては、

片田舎の暮らしならではのサブカルチャー事情となる、

仕事や家庭と、この邪悪な活動との両立が図れなかったりが多々発生し、

憧れてメンバーとなっては辞退していくという問題が
次々と如実にありました。

 

 

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RENEGADER #3

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RENEGADER AFTERHOURS ROCKDAY

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RENEGADER D.O

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RENEGADER #5

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RENEGADER 青い鳥コンサート2006


なのでこのRENEGADERは、
第8期まで展開し、

公務員のミドル世代の者や、
17歳の現役高校生や、

都会でもっとガチすぎるデスメタルバンドで活動していた者や、
ニューオータニのホテルマンや、

その後Not 2 Belikesomeoneのメンバーになった者や、
その後Concerto Moonのメンバーになった者や、

とても色々なメンバーが携わってくれては、
地元にインパクトとレジェンドを残す活動をしたバンドだったのです。

 

 

因幡ヘヴィメタル連合presents:やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな!Vo.2


 

 

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RENEGADER 青い鳥コンサート2006

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RENEGADER 青い鳥コンサート2006

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RENEGADER 青い鳥コンサート2006

 

RENEGADER 青い鳥コンサート2006 鳥取駅前風紋広場

 

 

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RENEGADER パレットとっとり 3th Annversary Live

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RENEGADER パレットとっとり 3th Annversary Live

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RENEGADER パレットとっとり 3th Annversary Live

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RENEGADER パレットとっとり 3th Annversary Live

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RENEGADER パレットとっとり 3th Annversary Live

 

RE.NEGADER パレットとっとり 3th Anniversary Live

 

 

そしてこのバンドでは、ADVISORYの時のように、
県外へ遠征へ行くような活動には至らなかったのですが、

マスコミに地元の芸能人のように取り上げられては、
メディアへ出演することがしばしばありました

 

 

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

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RENEGADER これじゃないと☆鳥取ナイト

 

BSSテレビ:これじゃないと☆鳥取ナイト

 

 

BSSラジオ:ご近所わいど 今日もハレルヤ!

 

 

BSSラジオ:自由ほんぽー おしゃべり本舗

 

 

こんな感じで、昔にX JAPANが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にヘビメタとして番組に出演しては、

あの強烈な格好で街中を歩き回って、
火を噴いたりしながらライヴを演りまくっていたみたいに、

あのまんまがやりたいと思いながらRENEGADERをやっていたので、

やっぱマスコミに声をかけられるわけです。

 

 

だから、改めてアンダーグラウンドシーンの帝王の位置を狙って

最終的にはTOKYO進出へ!!

 

 

…とはまたしてもならず、

結果的に、ちょっとしたローカルのタレントみたいな活動となっていっちゃったのです。。

 

 

だとしても、またしても貴重な体験を積み上げることができたのは間違いなく、

この後の自分の人生にとって、
とても役に立つ経験となりました。

 

 

なんせ、その後の人生において、
自分のビジネスに色々とつながっていくことになったのだから。

 

 

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RENEGADER D.O

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RENEGADER 韻火帝国

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RENEGADER 韻火帝国

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RENEGADER 韻火帝国

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RENEGADER D.O




んで、デスメタルがなんなのかわかりずらい世の中にとって、

色んなデスメタルを響かせていきたいという考えから、

やはりカヴァーも取り込んでプレイしていたので、


SLAYER、VADER、TESTAMENT、
DARK TRANQUILLITY、MORBID ANGEL、
SHADOWSFALL、CANNIBAL CORPSE、
HATESPHERE、ARCH ENEMY
HATEBREED、 Xなどをプレイして、

 

デスメタルってこんなにも色々とあるんだよと、

テレビやラジオの情報番組みたいな内容の活動となって行ったのでした。

 

 

そんな話題を呼んだこのRENEGADERの活動も、
極めてひょんなことがきっかけで、

5年間という、長いようで短く、
そして、とても濃くて残忍な思い出を残し
終わりを遂げたのでした。

 

 

④へ続く…

 

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

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RENEGADER LAST LIVE 2009.3.22

 

 

 

 

D.Oのバンド活動のストーリー② 〜ADVISORY〜


こうやって昔のことを書き留めて行くと、
この頃のネタを今の自分に活かせないかと
どこか考えてしまう。

な、D.O(@Deeooo954)です。

 

 

いよいよ都会へ進出し、夢を叶えるための単身生活をスタート

 

18歳より、鳥取を飛び出して、
15歳の頃から音楽でプロを目指したいという夢があったため、

福岡県(なぜか)へ引っ越しまして、
初めての一人暮らしを始めました。

 

 

最初の1年間は、
バンドなんて全く組めないほどに、
友達さえいませんでした。

 


幸い、鳥取の頃から一緒にバンドをやっていた、

気の合う友が大学進学のため、
隣の山口県下関市に住んでいたので、

それなら一緒にバンドをやろう!
と約束していた彼が、唯一の友達でした。

 

 

僕の初めての一人暮らしは、
学業のための上京のような感じではなく、

自分で勝手に思い立って決めて動いた行動だったので、


50万円貯めた貯金通帳と、
衣服と貴重品だけをカバンに入れて、

頼れる親戚がいたのでそこに仮住まいさせてもらいながら、

ワンルームマンションを探して借りて住み始め、

そこから全て100円ショップで生活に必要なモノを買って、

一人暮らしをスタートするという、

勢いで生活を始めた感じでした。

 

 

まあ、冒険だったからそんなものだと振り返るけど、

父母は、その頃の僕の福岡での一人暮らしの様子を、

一度も見に来たことはありませんでした。

 

 

それくらい、自分でやっていってやる気持ちマンマンで家を飛び出していたのです。

 

 

だからか、なのにか、それでか、やっぱり、
そんな簡単にすべてがスムーズにいくわけがない。

 

 

というわけで、
最初の1年間は新しい友達ゼロ。

 

 

18歳という多感な青春時代は、
実はとても苦しかったのです。

 

 

そんな思い出が、
かなりハッキリと残っています。

 

 

バンドで夢見て都会に出るということって、
現実しかない現実の毎日なのだということを、
今みんなに改めて伝えておきたいですね。

 

 

プロになりたくて片田舎から
飛び出すように都会に出たミュージシャン達は、

みんな想像を絶する孤独な体験と、
健康と安定度返しな生活を土台に、
がむしゃらに音楽やってきているものだと、

僕が代弁しておきます。

 

 

そんな僕でしたが、
一人暮らしを始めて一年経つか経たないかの頃、

その山口県の大学に通いながら音楽を共に歩んでくれた友と、

このまま音楽がなにも進展しなかったら、
俺等はなんの目標をもってここまで来たの?
って話し合い、

どうしてもバンドがしたいから、
とにかく一緒にやってくれるメンバーを探そう。

もしくは、2人でどこかのバンドに入ろう。

と決めて、大手楽器屋さんのメンバー募集コーナーの貼紙を片っ端から控えて、

2人で手分けして連絡をしていくことにしました。

 

 

こんなに募集が出ているのに、
案外決まらなくていい話にならないものだなと、

肩を落としながらも諦めずにアタックしていたら、

一人だけ、会ってみたいと言ってくれる人が現れました。

 

 

その人は、DREAM THEATERが好きで、
そんな感じなプログレッシヴ系の
テクった音楽をバンドでしたいって言う、

キーボーディストさんでした。

 

 

…本当はデスメタルバンドがやりたくてこっちに出てきたのに、

まいっか。ってグッと気持ちを押し殺しながら、

僕等はその人と触れ合いを始めたのでした。

 

 

結局、その人とバンドは組まなかったんですが、

その後沢山のバンド仲間を紹介してもらうことに発展し、

その人との出会いがきっかけで急激な展開を見せるのです。

 

 

仲間達のライヴステージを観に行ったり、
色々な所へ連れてってもらったり、

時々手伝いでバンドに参加してステージに立ったり、

小さなことでしたが少しずつ展開して行きました。

 

 

その仲間達の中で、
とてもギターが上手で爽やかな好青年がいて、
その人と特に仲良くなっていたので、

思い切って
デスメタルバンドやりませんか?」
と声をかけてみたところ、

爽やかにOKをしてくれて(笑)、
極悪なイメージが付きまとうものにまで爽やかに、

ワクワクと参加してくれるこの好青年と一緒に
デスメタルバンドを結成することになりました。

 

 

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ADVISORY 結成前の頃

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福岡に来て1年経った頃 当時の仕事で現場より



その後、鳥取からの友がベースをやってくれながら、

今度は例の楽器屋さんのメンバー募集コーナーから、

ヴォーカリストを見つけて来てくれて、

そしてメンバーみんなでネットなどから
ドラマーを見つけて来て、

とうとう念願のデスメタルバンドをスタートさせることになったのです。

 

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都会(福岡)に出てから活動したデスメタルバンド「ADVISORY」

 

やっと結成することができたのデスメタルバンドは、
「ADVISORY」というバンド名になりました。

 

 

由来は、当時CDやその他の作品に収録されている内容が
倫理的にヤバいモノの右下に表示されていた、

 

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から引用しました。

 

 

単純でしたが、俺等はヤバいバンドだよ。
って見せたかったことが目的で思いついて
僕が名付けたんです。

 

 

このバンド、デスメタルをやったことがないけど、

デスメタルをやってみたい奴等が集まって結成されたため、

最初は単なるメタラーみたいな格好とサウンドで、

デスのデの字も無い感じの仕込みをしていたのですが、
なんかちゃうなあ。。と感じていたので、

僕が提案して、本物のデスメタルバンドのカヴァーもやっていこう!

そして、ブラックメタルバンド(サタニックメタルバンド)みたいに、

コープスペイント(死者が生き返った時の姿を現したメイク)もやろう!

ということにして

「デス」てなんぞや。という本質からしっかりと
取り込んでいくように仕込み直して行ったのです。

 

 

するとまだまだあまりデスが詳しくない面のあったメンバー達も、
デスの素敵さ(なんかヘンな言葉だな笑)を感じて、

どんどんっぽくなっていったんです。

 

 

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ADVISORY AFTERHOURS 7th Anniversary


かといっても、このバンドでプレイしていたデスメタルバンドのカヴァーは、

IN FLAMESCHILDREN OF BODOM、PANTERA、
KILLSWITCH ENGAGE、GUSTANK、THIN LIZZY
IRON MAIDENなどで、

結局は入門編のようなデスメタルバンドや、
方向ちゃう様なバンドのカヴァーもしたりしてたんで、

まあやっぱポピュラーデスな僕等でした。

 

 

 

3年間の短い活動だったけど、足跡は強く付けることができたバンド


ただこのバンド、
地元のライブハウスに根付いては、

アンダーグラウンドシーンにおいて絶大な人気を誇るまでに!、、

 

 

と言いたいところなんですが、
結局演ってたのが、

顔塗ってキャンキャンと吠えて(正しくはヴォーッ!と吠えていた)、
地域の夏祭りや、アマチュアバンドコンテストや、

フツーのROCKやPOPSのバンド達が開催する、

ホールイベントなどを中心にライブ演ってました。

 

 

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ADVISORY 鳥取駅前青い鳥コンサート2003

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ADVISORY D.O


その中には、鳥取の夏を飾る大大イベントの(当時は今より凄かった)
青い鳥コンサートへ凱旋ライブで
ツアーと称して出演してみたり、

 

このメイクやパフォーマンスがよかったのか(笑)、

それとメンバーの中に、

ピコピコハンマーをただただ振り回して暴れているだけのメンバーが居たためか(笑)、

74組中8組しか通らなかったコンテストに決勝まで行き、

1000人の目の前でステージを演ったこともありまして、

そのコンテストのゲストで、

当時上海ハニーで大ブレイクしていたあのORANGE RANGEが出てましたが

僕等のこのアホなキャラとデスな格好にビックリされたりもありました。

 

 

このコンテストは、
ラジオ局のFM山口が主催していて、

地元のアマチュアバンドを応援する音楽情報番組の企画だったので、

コンテスト出場前にそのラジオ番組へ出演もされてもらいました。

 


その時の様子が聴けますので下部をクリックしてみてください。

FM山口:MUSIC SOLDIERS

 

 

んでこちらがコンテスト当日の様子です。

FM山口:BATTLEHEAT in STARPIAA vo.8

 

 

そしてそんなことをきっかけで、
山口県のライブハウスのプロモーターさんにスカウトされて、

そのライブハウスにて強烈なバンド達と一緒にライブさせてもらったりと、

自信満々で演ってた僕等のワリにはかなり凄い人達に、
恐れながら絡ませられたりもありましたねえ。。

 

 

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ADVISORY 周南TIKI-TA


たった3年間の活動だったんですが、

知名度の上がりが早い展開に必死で追いついて行きながら、

福岡でのデスメタルバンドをガッツリと炸裂させていただきました。

 

 

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ADVISORY AFTERHOURS 2days-1

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ADVISORY AFTERHOURS 2days-2

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ADVISORY AFTERHOURS 2days-2

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ADVISORY AFTERHOURS 2days-1


そんな思い出の深いこのバンドは、
当時のメンバー達と今でも交流が続いています。

 

 

今は遠く離れて暮らしているから、
会ったりできるのもこれまた3年ごとだったりしてますが、

ずっと仲良く触れ合っています。

 

 

それだけ、デスメタルを身にまとって
貴重な時代を過ごしていたことを、

みんな今でも大切に宝にしているのでしょうね。

 

 

③へ続く…

 

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福岡を旅立つ時が近い頃 Vo.のDEATHCROWとD.O

 

 

 

D.Oのバンド活動のストーリー① 〜少年の頃〜

 

とても昔のことだけど、
とても大切な第一歩ってのは、
とても覚えているものだ。

あ、D.O(@Deeooo954)です。

 

 

バタバタしていたのも束の間で、
早いもので6月となりました。

 


前回までは、聴いてきた音楽の遍歴をご紹介しましたが、
今回は僕がやってきたバンドやグループの活動のストーリーをご紹介します。

 

 

 

ギターを始めた12歳〜初めてバンドを組んだ15歳

 

僕が音楽を始めたのは、中学1年の時。

 


父親がFENDERというブランドの、
STRATOCASTERというギターを隠し持っていて、
それを弾いている姿を目撃したことがきっかけでした。

 

 

その頃楽器ってやつは、
ピアノやリコーダーなどの学校で見る楽器しか知らなかったんですが、

X JAPANの存在を知った時期でもあったことから、
HIDEが弾いていた楽器ということもあって、
ギターの存在をその頃初めて知ったのです。

 


それを父親が持っていたことがビックリで、
思わずそれを「隠さずにオレに提供しろ」みたいなことを言って、
貸してもらうことになったのです。

 

 

それからの僕は、ギターを弾くことが新鮮過ぎて、HIDEになれた気がして、
毎日握っては、弾けもしないのに弾いていました。

 

 

けど何を弾いていいのかも分からないのと、
知っている曲を弾いてみたいのとで、
持ち主の父親に「Xの曲の弾き方を教えてくれ」とお願いしましたが、

ヤツはなぜか教えてくれなかったのです。
(弾けるわけがないから教えてくれる訳がないことを大人になった時に気づく)

 

 

そこで、新聞の広告欄に載っていた今で言うUCANみたいなやつに、
ギター講座たるモノがあったので、
母親にお願いしてそれを習わせてもらうことにしました。

 

 

それを習えばX JAPANの曲の弾き方を教えてくれるのだと強烈に勘違いをして、
講座の申し込みハガキに名前と住所をワクワクしながら書き込んでいましたねえ。

 

 

そしていよいよ、専用のバッグに入った教材一式が届き、

それはもう嬉しすぎて嬉しすぎて、その後しばらくは、

学校から帰っては毎日そのギター講座をコツコツとやっていました。

 

 

けど、その講座のテキストのどこを見てもXの曲は載っておらず、
ビデオが入っていたのでそれにHIDEが先生で出ているのだなと察して再生をしたら、

そこにHIDEの姿は無く、
代わりに七三分けでお利口さんが着るような服装のヘンなおじさんが映っていて、
その人が僕のギターの先生でした。。

(そのヘンなおじさんは、あの伝説的なフュージョンバンドCASIOPEAのギタリスト、野呂一生だということを大人になってから知ることになる)

 

 

めちゃめちゃ難しかったことを今でも覚えています。

だって、JAZZのコードやスケールで練習をさせられていたから。。

 

 

お陰様で、中学の3年間はそのギター講座で上達した腕前を活かして、

X JAPANが弾けるようになりましたが、

まだまだ憧れている"バンド"を組むことができずにいて、


一人でLUNA SEAやL'Arc-en-Cielをコピーしては、

彼等のアルバム作品全ての曲を完コピするなどして、

活動をしていました。(これって活動なのか)

 

 

そして15歳となった僕は、高校へ行かずに働き始めたため、
ますますメンバーを見つける旅に出ることもできず、
どうしたらいいのかな?って思ってた時、

中学の頃に共にバンドをやろうとしてくれていたVo.が、
Dr.を見つけて来てくれて、
僕がGt.やBa.を演ってくれる友達を連れてきて、

初めてのバンドを結成することができたのです。

 

 

もちろんLUNA SEAコピーバンドですよ。
(その後28歳の時に再会したことを機に、
このバンドはREBOOTという名前で再結成することになる)

 

 

都会に出る前の18歳までにやっていたバンド活動

 

まあそうはいってもバンドを始めた頃ってのは、
バンドを組めたことがきっかけで、
他のバンドマン達との出会いや交流が劇的に増えるもので、

やはりたくさんのバンドをかけ持っては活動をすることがメジャーでした。

 

 

当時はとにかくV系のバンドとメロコア系のバンドがブームで、
どいつもこいつもLUNA SEAHI-STANDARDのコピバンばかりで、
LIVEで演る曲がカブっては、

お客は同じライブでROSIERやNEW LIFEを3回は聞かされて、
都度頭振ってるかモッシュしてるか、
そんな時代でした。

 

 

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CRAZEのバンドをやっていた頃

 

その中で、XやB'zやMETALLICAMR.BIGを演っている同年代のバンドが稀にいて、

そいつらと対バンになるときは、

とにかく全てを持っていかれた状態で、寂しい背中でギター背負って、


帰宅する日曜の夕方もありましたねえ。。

 

 

けどそれだけバンドっていうカルチャーは、
僕等を育ててくれた「自分たちで立ち上げてやってた部活」だったんです。

 

 

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SIAM SHADEのバンドをやっていた頃

 

その時からかな、バンドででっけえとこ目指したかったのは間違いなかったから、

僕もXやB'zや、SIAM SHADESEX MACHINEGUNSや、

スゲぇどころはバンド組んでプレイしてきましたね。

 

 

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DREAM THEATERのバンドをやっていた頃

 

そんな自分だったから、さらに凄いモノを追い求めて、

本当のヘヴィメタルをできるようになりたいと思うようになり、

SLAYERやPANTERAやDREAM THEATERをいつかはバンドでできるようになりたいと、

メラメラと野望を抱くようになっていくのです。

 

 

②へ続く…

 

D.Oが聴いてきた音楽の遍歴②〜こうやってD.Oは作られていった


前号で書いた記事に早くもハズカしさを感じ出している
D.O(@Deeooo954)です。

 

 

やっぱ昔のことをさらけ出すのって、若干抵抗がありつつも、
過ぎ去った過去はもう過去でしかないのだから、
まあいいじゃないかと言い聞かせ、

その過去があって今の自分があるのなら、
消えることが無いようにと綴っておくのも、
きっと役に立つと思いながら、

 

前回に引き続き、遍歴をご紹介します。

 

 

D.Oの音楽人生が激変する。25歳から現在まで


前回の最後に括った、EXILEとの出会い

 

 

それが僕にとってどれだけデカかったか。

 

 

それくらい、自分の考え方やこれからへの価値観がひっくり返ったことはありませんでした。

 

 

デスメタルをやっていた自分の絶頂だったと言える頃に、
地元で演歌歌手をやっていた彼女とお付き合いをしていたんですが、
複雑な恋愛でもあったので(演歌の歌詞の世界まんまな感じの)、
壮絶な展開などあってお別れに至ったのですが、

その失恋もあってか、自分の生き方について
かなり考えさせられてはとことん見直していた時期に、
本屋の音楽雑誌コーナーにあった、

「月刊EXILE」の創刊号を買って読んだんです。

 

 

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月刊EXILE 創刊号

 

それまでEXILEのことはもちろんアンチでした。

 

 

けど一旦リセット状態になっていた自分は、
しみついた音楽生活を全くの無にはできず、
欠片のような気持ちも残っていて、

当時世の中を湧かせていたあの調子の良さそうな集団が、
なんであんなに愛されているのかが知りたくなって、
その本を買ってみたんです。

 

 

特集に、リーダーHIROのロングインタビューが載っていまして、
その記事をゆっくり読んでいきました。

 

 

そこには、なぜEXILEはこのような音楽でやっているのかや、
ZOOでブレイクをした自分がずっと抱いていた苦悩や葛藤、
そして、EXILEを結成したことやその大切な想いが掲載されていました。

 

 

その時のことをよく覚えていますが、
インタビューの内容が、その時の自分からしたらとにかく衝撃的で、
何に一番胸を打たれたのかというと、

僕がデスメタルをやっていた時に抱いてた強い想いと、
HIROさんがEXILEをやっていることに対する強い想いが、
ほぼ一緒だったのです。

 

こんなにもジャンルやスタイルが違っているのに、
暴虐な思想や声明を発する音楽と、愛や平和や絆を唄っている音楽と、
どう見ても相反しているのに、

中身は一緒だったんです。

 

 

それからの僕は、抜け殻だった自分に、
EXILEをどんどん取り込んでいったのです。

 

 

その当時のEXILEは、SHUNが脱退してTAKAHIROとAKIRA加入した直後の7人だった頃で、
どんどんノリに乗っていた時でした。

 

 

彼らのCDアルバムの、
EXILE EVOLUTION、EXILE LOVE、愛すべき未来へ、を
擦り切れるくらいに聴いて、

この曲いいね!で終わらずに、
メンバーそれぞれの生き様や、
眼差しの向いている方向まで、

すべてを取り込んでいった。

 

 

それからの僕は、以前のように、
拳やプライドを粋がっておっ立てたり、
常に何かに対して刃向かうようなことは無くなり、

ジェントルにオシャレに着こなすことでエスコートさをまとう心となり、
日常や将来にホッコリさや爽やかさを描くようになり、
ホントちょっとした毎日の一コマに幸せを感じたりと、

今までにない感覚に感謝しながら、
こんな自分が好きになっていったのです。

 

その後は、優しく優雅に歌い上げる歌唱スタイルで音楽をやり、
R&BやSOULなミュージックでさりげないシーンを演出し、
最終的には、社交的な自分で、ビジネスを営みながら、

司会や講演を行うまでに変貌を遂げて行ったのです

 

 

 

音楽って本当は、人が生きていくために必要なエレメント。〜EXILEはそれを知っていた


最近は、多岐に亘る活動スタイルにより、
騒がすほどのEXILEではありませんが、
やはり現在も、音楽で夢や未来を伝え続けている代表なグループだと思います。

 

 

本当に、希望を与えてこの時代を支えて救って元気にした彼等こそが、
真の音楽のアーティストだと思います。

 

 

音楽を愛し、音楽で生きて、
強い意味を持ちながら、闇と絶望を表現し続けては、
身体を張って舞台から訴えた時代を越えて、

それでも人として、最後には共感し分かち合える表現を選んだ
この僕が一番伝えたかったこと、それが、

音楽って本当は、人が生きていくために必要なエレメント。
EXILEはそれを知っていた。

ということです。


ということで、デスメタルとかは、
ネタにするまでにしましょう(笑)

 

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顔塗って髪立ててパフォーマンスやってたら、
デスメタルをチャラくすんじゃねえって、
ガチ勢に目の敵にされていたけど、

デスメタルを一番分かりやすく、
お茶の間化したあの経験は、
今ビジネスにメッチャ生きています(笑)

 

 

なので、D.Oは今も昔も、やっぱD.Oです。

 

 

舞台の活躍から人生の経験まで、
全てがエンターテインメントなのが、
D.Oなのです。

 

 

 

D.Oが聴いてきた音楽の遍歴①〜こうやってD.Oは作られていった


一年の中で今が一番過ごしやすいこの5月。
けど今年はコロナのヤツに世の中を取られたがために、
気持ちいいと心から言えないヘンな気分で過ごす毎日。

 

 

そんな時だから、おうち時間なのだから、
オンラインで過ごす。ウェブで生きる。
D.O(@Deeooo954)です。

 

 

この間、僕の正体を綴り紹介した訳ですが、
世の中の一般な生態寄りではない属だということも垣間見える紹介だったことから、
せっかくなので、どんな音楽を吸収しながら変貌を遂げてきたのかもご紹介します。

 

 

D.Oの音楽人生はここから始まった。〜18歳までの歩み


僕が物心ついた幼少期の頃、
TVで安全地帯を観た時にビックリしたことを覚えていて、
それが人生で初めて音楽を意識した瞬間でした。

 

 

「これは人なのか?」と思ったくらいに、
玉置浩二の化粧や髪形が凄かったんです。

 


そこから僕の音楽人生は始まっていたのでしょうか。

 

 

小学4年生の時、初めて自分でCDを買いまして、
それはCHAGEASKAのCDでした。

 

 

対照的な2人が甘くて優しいサウンドを奏で、
その華麗なヴォーカルと綺麗なハーモニーに魅了された僕でした。

 

 

平穏な小学生時代をとんねるずダウンタウンの番組と共に過ごしたD.O少年は、
思春期の始まる中学1年生で、あのX(X JAPAN)の存在を知りました。

 

 

友達がシングルの紅を持ってきて、そのジャケット裏面の写真にビックリ。
「この人たちは人間なのか?髪の毛が重力に逆らって立つことってありえるのか?」

 

 

でも確かに立っている。そして髪の色が人間の色じゃない。全員。

 

 

…これはやっぱ人ではない。
もし本当に人だったとしたら、これは悪魔や鬼のような悪い者だ。

 


…かっこいい。

 

 

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X 紅(single)の裏面ジャケット写真




それからX JAPANについて調べに調べていきました。

 

 

調べていく道中、Xの載っている音楽雑誌が本屋にありました。

 

 

それはジャンプやマガジンの置いてあるコーナーには無く、
今まで入ったことのないコーナーにありました。

 

 

その雑誌を立ち読みすると、なんと、
X以外にも同じようなヤバい人達が沢山載っていたんです。

 

 

なんだこれは!…

もう、ショックすぎて、D.O少年は自分がなんなのか分からなくなり、
それからどんどんヘビメタ、ヴィジュアルのバンドにハマっていったんです。

 

 

LUNA SEA黒夢GLAY、L'Arc-en-Cielはもちろん、
BUCK-TICK、D'ERLANGER、DEAD END、AION、
GargoyleDIE IN CRIESZI:KILL、Gille de Raisを掘りましたね。
(THE YELLOW MONKEYJUDY AND MARYもインディーズ時代はV系でした)

 

 

学校の勉強をしないで、V系の勉強ばかりしてました。

お年玉でギターを買って、クリスマスプレゼントはバンドスコア。


月のお小遣いでそれらのCDを買う生活。

学生カバンに教科書は入れないで、
FOOL'S MATEやSHOXXやロッキンFを入れて学校に行ってました。

 

 

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SHOXX vol.10 表紙:LUNA SEA




そして高校に進学をしなかった大バカ者。

 

 


ただ、ブレなかったんです。

 

 

それからの僕は、電気工事会社でシバかれながら働く壮絶な日々を過ごすのですが、
それを支えてくれたのが、夢というやつでした。

 

 

で、その夢を見させてくれたのが、
La'cryma Christi、MALICE MIZERROUAGE、Laputa、
Eins:Vier、Sleep My Dear、SHAZNA、PIERROTなどの第2世代のようなバンド。
(Silver-RoseD≒SIRE、Vogue、BAISER、覇叉羅、Plastic Tree、MASCHERA、YOUTHQUAKEもインディーズシーンを盛り上げてくれていましたね)

 

 

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STRIPPED-LADY(La'cryma christi)

 

けどその頃やっていたバンドでプレイしていたのは、
CRAZEやSADSSIAM SHADEやSEX MASHINEGUNSや、B'zでした(笑)

 

 

今から振り返れば、20代のオラオラな頃には、
途中V系にハマっていた自分にコンプレックスを凄く持っていてツッパっていましたが、


30代からノスタルジーが始まって来てからは、
この時代をメッチャ振り返るようになりましたね〜。

 

 

 

人間以上の存在になろうとしていたメタル時代。18歳〜25歳


いよいよ18歳の時、ヘビメタが外国にも存在していることを知りまして、
むしろ、ヘビメタって外国から始まったものだったことを知ることになりました。

 

 

んでもちろん、ヘビメタ(ヘヴィメタル)をどんどん調べました。

 

 

とある本にたどり着き、それにヘヴィメタルを分かりやすく解説してくれているページがあったんですが、
その中を読んでいくと、ヘヴィメタルにも色々なジャンルがあることが掲載されていたんです。

 

 

その最後の方に、「デスメタル」というのがありました。

 

 

デス って、「死」?死んでるの?

けど紹介されている写真には生きている人が載っている。

 

 

これはヤバい!と感じたD.Oは、
とうとうデスメタルに手を出したんです。

 

 

それからD.Oのデスメタル人生が始まりました。

 

 

その頃は、IRON MAIDEN、HELLOWEEN、GUNS 'N ROSES、MOTLEY CRUE、METALLICA、PANTERAを聴いていて、
METALLICAやPANTERAなんかは激しくて聴くのもちょっと大変な感じだったんですが、

んなくせに、「デスメタル」というそれ以上は無いんだよ!って伝わってくる究極な言葉に、持ち前の好奇心旺盛な性格が災いし、

手を出してしまったんです。

 

 

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MORBID ANGEL


初めて聞いたデスメタルは、VADERとMORBID ANGELだったんですが、
「終わっている」「確かに何もかもが死んでいる」と感じました。

 

 

激しいの限界を超えた楽曲。
メロディーという概念の無いサウンド
宗教的に人間を背徳とし、戒めで殺戮をする神と悪魔(なぜかエジプト神話をモチーフとするモノが多い)の登場する歌詞。

そしてヴォーカルの声が死んでいる。

 

 

これを人間ではないと判断し、また調べ始めて行ったんです(笑)

 

 

それからというもの、誰に愛されるのか分からないこのデスメタルという音楽が、
とてつもなく深いということを知りました。

 

 

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CRADLE OF FILTH


メロディーの綺麗な、涙を誘うデスメタル(メロディーが無いのがデスメタルなのに、盛り込んであるメロディーが世の中のPOPSより綺麗すぎる)。

ホラー映画のサントラが馬鹿みたいに激しくなったようなデスメタル

何やってんだかさっぱり分からないくらい早すぎて強烈なデスメタル


聴いていてまったくリズムが取れないのに曲としてちゃんと成り立っているデスメタル

本当に人を殺してしまっているデスメタル

 

 

 

とにかく、普通ではないものや、人間ではないものに憧れてしまっていたんです。

 

CANNIBAL CORPSE、DEICIDE、DYING FETUS、CRYPTOPSY、
IN FLAMES、THE HAUNTED、DARK TRANQUILLITYTRIVIUM
EMPEROR、CRADLE OF FILTH、DIMMU BORGIR、DARK FUNERAL、
MESHUGGAH、FEAR FACTORY、HATEBREED、NEVERMORE、


なぜこのようになっていったのかは、未だに分かりません(笑)

 

 

だがそんな行き過ぎたD.Oにも転機が訪れ、
180°方向が変わっていくのです。

 


それが、EXILEとの出会いでした

 

 

 

次号へ続く…

 

 

 

 

D.Oっていう黒歴史上の人物

初めまして!!


おまえは何者だ!?と思うような画像やプロフィールが飛び込んで来たと思いますが、
そう思われても仕方ないのは今に始まった話じゃない。。

D.Oと申します。


僕は今ちょうどいい頃合いの年齢となったので(そのいい頃合いがなんなのかよく分からないが)、この度ブログを始めました。


まあそれはそれは大変だった人生をちょうど半分歩んで来て、
ボコボコにされながら(勝手にそう歩んだのは自分)の素敵な経験を勝ち取った数々。


それをココに書いていって残していって
僕のようになりたい人のために(いいところが)、
僕のような人にならないために(悪いところが)、

これからは生きて行こうと決めました。

 

 

 

D.Oは、ミュージシャン

 

 

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僕は、音楽でここまで来た人間なんですが、
音楽って、人を作る最強のエレメントじゃないですか。


右を向いて年功序列を上手に渡っていかないと
簡単に村八分にされる現代社会に左を向いて、

そのカルチャーそのものが俺なのさ。って
無言で語るようにタトゥーやピアスの大きさや数で自分を表し、

ステージに上がって何を魅せるのかっていうと
華麗な演奏なんかよりも重要だった「俺の生き様」みたいなパフォーマンス。


そんなヘッズ達が、窓のない吸い殻が散らかった地下のライブハウスで
ノイズまみれのサウンドを酒の肴にして
朝までモッシュしていた中にいたあの頃の僕。


振り返れば、それは僕に必要だったのか、
なんでそんなことをやっていたのかって、
目が覚めるまでに相当の時間がかかったほど、

人間は、音楽で作られてしまうものなんです。


そんな僕ではありましたが、
今ではコンサルタントの仕事をして生きています。

 

 

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おまえのようなヤツが、よくもここまで変わったもんだなって
昔の僕を知っている人からよく言われますが、

これだけ音楽が自分を作ったと自負しているくせに
それと同じ数だけずっとコンプレックスがあって
ホント葛藤と苦悩の今までだったから、

実は必死で自分を変えていこうとして来たんです。


だから、音楽を全否定していた時もあったし、
変えたいけど、具体的にどう変えていけばいいのか分からなかったし。


音楽でできた自分を作為的に変えていくこと自体、
既に無謀なことだと分かっていても、とにかく変えたかった。


音楽のある環境から距離を置き、
持っていた楽器や機材を全て売り払って、
音楽好きっぽい服装から普通の服装に変えたり、

ホント不器用にダサいのに、やれるだけやってました。


その道中、変な反応や反射が出たりして、
めちゃくちゃ一人で悩んでは自信が持てなくなったりし、
なにがしたいのか分からなくなって虚しくなったりしながら、

それでも変えたかったのです。



例えば具体的にこんなことをしていました。

・聴く音楽のジャンルを変える
・バンドのライブステージは観ない
・自分からは他の世界の人とだけしか会わない

当初この3つをとにかく意識して実行していました。


今となってはもうヲッサンの入口に立ったので、
そのように距離を置いていた過去の自分さえ鼻で笑えるんですけとね(笑)


そして現在は超越したのか、
楽家の自分が音楽をどう楽しんでいるのかというと、
「音を使わないでも音楽をやる」という、

訳の分からないスローガンをひっさげ
音楽を仕事でやるようになりました。

 

 

D.Oは、ファイナンシャルプランナー

 

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僕の仕事は、ファイナンシャルプランナーです。

 

え?音楽の仕事じゃないじゃん!って思ったでしょうが、
ここからの文を読んて行けば
なるほどなって思うと思います。


そのファイナンシャルプランナーをジョブにして(ファイナルファンタジーのジョブにも入れてほしい(笑))、
どんなメニューを提供しているかというと、
人生の設計と、まちづくりの設計、です。


これでもまだざっくりなのでさらに分かりやすくいえば、
ファイナンシャルプランニングのスキルを活用して
ライフイベントのプランニングと、タウンイベントのプランニングをやっています。


え?逆に分かりずらい??失礼しました…
ファイナンシャルプランナーがお金のことの専門家なので、

人生のイベントとなる、結婚や出産、入学や進学、車の購入やマイホームの購入、老後の生活と死亡、などが訪れる時に結構なお金がかかるから
それをどう準備していくのかを専門知識を用いて計画する仕事です。


それで、この人生のイベントを計画できるディレクターとなったことから、
もともとふんだんにキャリアがあるので、
街を元気にする催しものやお祭り、お客様をお招きしてもてなすパーティーやレセプションを計画する仕事もしているんです。


そうなんです、ライフイベントやタウンイベントをプランニングできるというワザは、
さんざん音楽のステージやフェスを作って開催してきた
音楽野郎だった今までの自分が築いたキャリアなのです。


なので僕は音楽も仕事にして行ったという訳です。

 

 

D.Oは、やっぱミュージシャン

 

 

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歌を唄うことや
楽器を演奏することや
舞台で演舞をすることだけが
音楽ではありません。


開催することや、企画することや、設計することや、
司会することや、音響することや、演出することや、
その知識や情報をこれからの音楽家に伝えていくことも、
僕には音楽です。


ということで、ブログもやることにしたのです。


今はこんな感じで音を使わないで音楽をやったりしていますが、
なんか自分らしくていいなあって感じてます。

よかったらこちらも覗いてみてくださいね。

peraichi.com


このように僕D.Oは、変化を遂げながらも
結局音楽で自分の人生を設計しています。


そんな絶妙にコクのある味がする、
美味しい音楽ブログにしていくので
これからどうぞよろしくお願いします ^^)